夜の踊り場

自作小説を置いていきます。

空と星

 

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「くよくよしたり、悩んだりした時は空を見るんだよ。きっと君の心を晴らしてくれる」
片田舎の小さな高校で天文学部に入っていた私は、先輩からその言葉を言われた。


 その高校では何かの部活に入ってなきゃ周りからの印象がよくないとのことで、とにかく何かしらの部員になるのが当たり前だった。
例にもれなく私も部活を探していた。そして天文学部に出会ったのだ。
星が好きとか天文学に興味があるとか、そういう大した理由は持ってなくて、たまたま最初に見に行った部活動がこれで、面倒くさがりな私はこの部活でいいやと、適当に決めただけだった。
ただ、適当に決めたわりに3年間続けることができたことは、案外誉められても良いのかもしれないと今になって思う。
とはいっても誉められるべきは私じゃなくて、私に部活動のやる気を出させた先輩であることは明白なのだけれど。


 先輩は不思議な人だった。本当に学校に通っているのかすら怪しいくらい、いつも部室にいた。私が授業をサボタージュして部室でこっそりお昼ご飯でも食べようかと立ち寄ったときにさえ、彼は部室の一番奥、窓から空を眺めることのできる場所に置かれている、ふかふかの椅子に座っていた。
そしていつもこういうのだ。
「やぁ、今日は空を見ていくかい?」
と。


 今になって思えば、私は部活動でありながら部活動でないような放課後の雰囲気が、とても心地よかったのだろう。
特別目標を掲げることもなく、ただ気の向いたときに空を見上げるだけという活動内容は、その実、部活動に入っていなくたって誰でもやっているようなことである。天文学部と名乗るのすら、他の学校の天文学部と名乗っている人たちにはおこがましいのではないかと感じるくらいだ。
でも私は天文学部としてそこにいて、くだらない星座の話なんかを一方的に聞かされながら、夜になるまで空を見上げていたのだった。


 「天文学部が夜にしか活動できないというのは大きな間違いだよ。学校が終わって直ぐ様空を見ていれば、それは部活動をしていると言えるんだ」
入部初日、私がこの部活は夜に天体観測をするしか活動内容のない部活だと思っていた私に、先輩はそういった。
私はこの時、活動が限定的だからこそ天文学部に入ったというのに、それを真っ先に否定されてしまって困ったものだから、今からでも他の部活を探そうかと考えていたような気がする。
ただ、なんでかわからないけれど。この部活に居続けてしまったのだ。

 

 そんな唐突な始まりかたをした私の部活動は、一年で節目を迎えた。
そう、先輩の卒業である。

そのときになるまで気にしていなかったのだが、先輩は私の二つ上の学年だったのだ。
私はどうして卒業することをいってくれなかったのか、部室に言って問い詰めた。
すると彼は、「言ってなかったっけ」と白々しくとぼけた顔でいうのだった。
ちゃんと学校に通っていたのかとか、言うのを忘れるなんてあり得ないとか、これからこの部活をどうすれば良いのかとか、どこの大学に行くのかとか、これからまた遊びにくるのかとか、色々聞きたいことはあった。
だけど、先程の言葉を聞いて、思わず呆れてしまった私は。

いつもと変わらず、二人で窓辺から空を眺めることにしてしまったのだった。
そしてその時、こう言われたのだ。


「くよくよしたり、悩んだりした時は空を見るんだよ。きっと君の心を晴らしてくれる」
と。
今の悩みのタネは全て隣で空を見上げているある人物に収束するわけで、この人物に全てを問いただせば解決するのだが、それをすることはなんでか無粋な気がして。
赤色から藍色に移ろいゆく空の色をじっと眺めながら、私はこの景色を忘れないようしっかりと目に焼き付けた。


 結局私は、その後も部活動を継続することを選んだ。
ただ、それからの2年はある意味、蛇足だったかもしれない。
新入部員なんてものは入ってこなかったし、もしかしたら先生たちですら天文学部が活動を続けていることを知らなかったのかもしれない。部活に入っていないように見えた私を、あまりよく見ていなかったかもしれない。
部室に行っても誰もいるわけではないけれど、私は色々と教えてくれた、先輩の痕跡を消したくなかったのだろう。
そして夜になるまで一人で空を眺めながら、先輩の言っていたあの一言を思い出し、今の自分には靄がかかっているのかどうか、確認していた。

空を眺めると、星がキラキラと地球を輝かせるライトみたいに映って見えた。

 

 そんな3年間を過ごして、私は今、都会で働く人間になっている。
社会はひどくままならなくて、理不尽な言葉や行動が飛び交う戦場のような職場を、針の糸を通すような繊細さで過ごしていかなければならない。
今でさえ、自宅の机に溢れる書類と格闘している。
そんな生活に辟易していると、ふと先輩の言葉を思い出した。
単純な脳みそと思われるかもしれないが、私にとってはそれが一番の方法な気がして。
ベランダに出て、あの日々のように空を見上げる。


けれど、あの日々のような星の輝きは私の目に映ることはなかった。

 
 私の目線のその下。そこには、眠ることのない街が存在していた。
私が過ごすことを選んだ街。
あの田舎を飛び出して、キラキラと光るネオンサイトの明かりに吸われていった。
まるで、飛んで火に入る夏の虫のように。
失ったものは大きいのかもしれない。あの光景はもう、私のなかにしか存在しない。再び見ることはできないのだ。
そう思うと、いつもは気にならない町の明かりが目に刺激を与えてきて、一筋の涙をこぼした。

先輩の言葉が、ひどく胸に残っていた。